「官僚たちの夏」 第3話、第4話

2009年06月: 大学院オーバードクター1年目。節約生活でも綴ってみようとブログを開始。
2010年09月: オーバードクター2年目。経済難により博士課程単位取得退学。
2010年10月: 技術補佐員(テクニカルスタッフ)となる。ワーキングプア状態。
2011年10月: 震災の影響で僅かながら給与カット。頑張れ日本と自分。
2012年04月: 大幅昇給したが、ややワーキングプアか。
依然として先の明るくない生活を満喫中。
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 今日もドラマ内の歴史を眺めてみます。

 1958年、いよいよ日米貿易摩擦が起こり始める。
「粗悪品」、「使い捨て」と揶揄されてきた日本の繊維製品が
アメリカ市場を席巻しはじめたのだ。

岸谷内閣の通産大臣にアメリカ協調派の池内信人(北大路欣也)が就任する。
繊維産業を守ろうとする国内産業保護派(主役たち)と、
アメリカと強調しようとする国際競争派(敵たち)との間で議論が紛糾。

そんな中、アメリカが正式に綿製品の輸出自主規制を要求。
1959年、アメリカに屈し綿製品の対米輸出自主規制を行い、
日本の繊維業界は深刻な不況に陥った。[第3話終]

 繊維業界の怒りをよそに、
通産大臣の池内(北大路欣也)はGATT(関税貿易一般協定)に出席。
参加各国から保護貿易主義を批判され、貿易自由化勧告を突き付けられる。

とりあえず繊維貿易自由化。
さらに、岸谷内閣は3年後の前面的な貿易自由化を強引に閣議決定。
国民の不満は反日米安保闘争となって表れる。岸谷総理辞任。
池内内閣の誕生。(池田内閣ですね)[第4話終]


とりあえず、岸谷内閣は岸信介の第2次改造内閣で、
池内大臣は池田勇人がモデルでしょう。
この他、池内大臣の政敵として須藤大蔵大臣が出てきました。
佐藤栄作ということになるでしょうか。

小学校の社会では日米貿易摩擦は1960年代後半からと習ったので、
この頃のアメリカは日本を脅威とは感じていないはず。
成長産業を早目に潰そうとしていたのかな。。。
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この記事へのコメント
乾布摩擦
いやいや、60年代末から開始、ってのは自動車摩擦のことだと思いますよ。その前に繊維摩擦、鉄鋼摩擦とあるからねえ。
当時は怒濤のような輸出だったんすよ。我が民族の“やり始めたらどこまでも徹底的にやる”性癖をみくびっちゃいかんですww(例えば長篠合戦は、種子島への鉄砲伝来のたった28年後だけど、このとき既に、世界最大の銃保有国は日本だったのよww)
繊維摩擦は結局70年代の頭まで続いて、全面的な輸出自主規制(日本の繊維産業はこれでほぼ壊滅した)の結果、ニクソンが沖縄返還を決めたわけですな(で、「糸を売って縄を買った」と言われたwww)
日本のOECD加盟(=先進国宣言)が1964年、この時期の日本はまだ、今のイラクに毛が生えたくらいの状態だったので、アメリカとしては「先手を打って成長産業をつぶす」なんて余裕はなかったでしょうなあ(寧ろ早く成長してくれんと重荷になるw)
…いやあ、懐かしいなあ(嘘つけ!>オレ
2009/09/24(木) 06:27 | URL | アクチニウムイットリウム #-[ 編集]

Re: 乾布摩擦
コメント…いえ、解説ありがとうございますw
すごい面白いです。まるで見てきたかのようですw
でもこの解説、ドラマの最終回まで突っ走ってますw(痛☆
2009/09/24(木) 10:31 | URL | アレアレ #-[ 編集]

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